自分を売らない思想より
偏っていないことは、状況にコミットしていないことと同じである。自分は責任をとりたくない、ということでもある。生きている限り、選挙では誰かを支持するはずだ。
ところが、公正な意見を、といって自分は高見の見物をしていて、審判の立場に立ちたがるのである。そんな審判は地上から離れて天上界に行ったほうがいい。
繰り返すが、中立公正な意見があると思う人は、死んでいる人だ。そういう人間が多いから原発が止まらないのである。
---だまされない思想(自分を売らない思想)より
肉の塊
体のいいなり(内澤旬子箸)より
四度の手術で私が得たこと、それは人間は所詮肉の塊であるという感覚だろうか。何度も何度も人前で裸にされて、血や尿を絞り出しては数値を測って判断され、切り刻まれ、自分に巣喰う致死性の悪性腫瘍という小さな細胞を検分されるうち、自分を自分たらしめている特別な何かへのこだわりが薄れてしまった。
人間なんてそんなごたいそうなものではない。仏教の僧侶が言うとおり、口から食物を入れて肛門から出す、糞袋にすぎない。
私のように意志ばかり肥大させて生きてきた人間には、それはちょうど良い体験だったのかもしれない。独立した存在だと思っていた精神も、所詮脳という身体機能の一部であって、身体の物理的影響を逃れることはできない。私はそれをあまりに無視して生きてきたんじゃないだろうか。
ゴッホの手紙 より
あれが描きたいとかこれが描きたいとか言わず、靴を作るような調子で、何ら芸術的な配慮なしに仕事すべきだとだんだん信じて疑わなくなった。
‥(中略)‥
もっと多くの絵を仕上げ、もっと念を入れて仕上げたい。困難な時期にいろいろ起こるこうした考えや、移り変わりの激しい効果はついに実行を不能にさせ、経験と毎日のちょっとした仕事だけが、長い目でみればより完全に、正確に、円熟させるのである。したがって遅い長い仕事だけが唯一の道であり、良い作品を仕上げようとするいかなる野心も偽りなのだ。毎朝、仕事にかかっても、失敗する場合もあり得るではないか、成功するとは限らない。絵を描くためには、落ちついた規則正しい生活が絶対に必要だ。
タゴールの言葉
危険から守られることを祈るのではなく、
恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
痛みが鎮まることを祈るのではなく、
痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。
恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
成功の中にのみ、あなたの慈悲を感じるような卑怯者ではなく、
自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるような、
そんな人間になれますように。
‥‥ラビンドラナート・タゴール(鈴木晶訳)
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain,
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life’s battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved,
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me that I may not be a coward, feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
‥‥Rabindranath Tagore