ちっちゃい海
窓から、となりの家の向こうに遠く少しだけ青い海が見える。
散歩しよう、今日も暑くなりそうです。
静けさに帰る
萬物は
生まれ、育ち、活動するが
すべては元の根に帰ってゆく。
それは静けさにもどることだ。
水の行く先はーーー海
草木の行く先はーーー大地
いずれも静かなところだ。
すべてのものは大いなる流れに従って
定めのところに帰る。
(そして、おお、再び甦るのを待つ。)
‥‥老子第16章 から抜粋
‥‥「人生は愁(かな)しみだ」とありましたけれど、それは社会での生存競争から来るのでしょう。そこから抜け出すと、命の喜びや美しさが見えるようになると思うなあ‥‥‥。
ライフエナジーというのは、生きているものを何とか生かそうと励ます。動植物すべてがその生かそうとする力に従って生きてゆく。憂いや死への恐れでは生きてはいない。人間も動物ですからね。本来は喜んでライフエナジーの働くままに生きていけるはずです。
でも所有と競争の社会にいると、時には欲や恐怖にとらわれる。だけど、個人としての僕たちは、いつでも、このアンバランスを回復して、喜びのこころを起こせるんでしょうね。
‥‥加島祥造、帯津良一著「静けさに帰る」風雲舎より
路上の死 Ⅱ(風化)
それから一週間後に行ってみると、どこかに蛆虫は去りすっかり乾燥がすすんでいた。
もう一週間もしないうちに風に飛ばされて跡形もなくなってしまうだろう‥。
鉛筆、色鉛筆、他(2013・5・14)
「残念ながら、
あなたがいまかかえている問題は、
そんなに深刻なものではありません。
ただ、あなたが深刻にしたがっているだけのことです。
(中略)
いずれにしろ、
生物としての生き延びるための問題解決というレベルから見れば、
わたしたちが日常かかえている問題なんて、
どれもたいしたことではありません」
‥‥伊藤守著「だいじょうぶたいしたことないから」より
エフトゥシェンコ
ぼくらは
孤独をはばかって
やりきれなさのあまり
なにかの仲間に身を投ずる
すると 役立たずの友情の奴隷のきずなが
棺桶のふたまで つきまとってくる。
どの仲間も ばかげた具合にできていて
ある種の仲間じゃ 酒をのむばかり
正気返るひまもない。
べつの仲間じゃ 衣服や女の話ばかり
またべつの仲間じゃ
まるで思想論争はだしのおしゃべりばかり
しかし よく見ると
どの仲間にも共通の性格‥‥‥
つまりは 暇つぶしの種々様々の形態だ!
あっちも
こっちも さわがしい仲間ばかり‥‥‥
いったい幾つの仲間から ぼくは逃げのびただろう
かぞえきれないくらい!
新しいわなにかかったと思うと ぼくはたちまち
そこに毛皮だけ残して
とびだしてしまう。
おれはぬけ出たぞ!
行途には荒涼たる
自由よ きみが待っている‥‥‥
まったく きみがいなくちゃ やりきれない!
‥‥‥‥「白い雪が降る」エフトゥシェンコ詩集より