生かされてある日々

「世界はエネルギッシュな人間のものである」……エマーソン(1803~1882)米の思想家

人に認められることをあてにしない

「わたしたちは、人に認められることをあてにしない
でいられる権利をもっている」

認めてもらうために、媚びへつらう必要はありません。自己の尊厳を損なってまでやらなければならないことではありません。誰もあなたの尊厳を外から奪うことはできません。
自己の尊厳が奪われることがあるとすれば、それは、認められるために、それを売り渡してしまう場合です。
人に認められることが、あなたの価値を測る唯一の方法ではありません。
……伊藤守著「あなたになるための48の権利」より

 

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ジュール・バスティアン・ルパージュ作



 

詩「マザーテレサの瞳」

茨木のり子著「倚りかからず」から

  「マザーテレサの瞳」

マザーテレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザーテレサの瞳は
時に
やさしさの極北を示してもいた
二つの異なるものが溶けあって
怪しい光を湛えていた
静かなる狂とでも呼びたいもの
静かなる狂なくして
インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか
マザーテレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに住みついて
じっとこちらを凝視したり
またたいたりして
中途半端なやさしさを撃ってくる

鷹の目は見抜いた
日本は貧しい国であると
慈愛の目は救いあげた
埃だらけの瀕死の病人を
ーーなぜこんなことをしてくれるのですか
ーーあなたを愛しているからですよ
愛しているという一語の錨のような重たさ

自分を無にすることができれば
かくも豊饒なものがなだれこむのか
さらに無限に豊饒なものを溢れさせることができるのか
こちらは逆立ちしてもできっこないので
呆然となる

たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

外科手術の必要な者に
ただ繃帯を巻いて歩いただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握りつづけることの意味を

ーー言葉が多すぎます
といって一九九七年
その人は去った

 

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ジュール・バスティアン=ルパージ ュ作

 

習慣という乗り物に乗って

私たちは、「習慣」という乗り物に乗って旅しています。
習慣は、知識と意欲が重なり合って形成されます。
知識とは、何をなぜするのか、という理論面であり、技術とは、どうやるのか、という方法面であり、意欲とは、こうしたい、という動機を意味します。

あなたの乗り物は、どんな燃料で、どんなエンジンを搭載しているのか、見直してみることは、大きな意味があります。

それによって、あなたがいまかかえている問題が、あなた自身の問題なのではなく、人と話す技術が未熟なだけだったり、知識が足りないだけだったりすることから生じているにすぎないことがわかるかもしれないからです。

……伊藤 守

 

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ジュール・バスティアン=ルパージュ作

 

自己実現を求めすぎて、かえって追い込まれていないか?

自己実現を求めすぎて、かえって追い込まれていないか?

「あれが描きたいとかこれが描きたいとか言わず、靴を作るような調子で、なんら芸術的配慮なしに仕事をすべきだ。」

「もっと多くの絵を仕上げ、もっと念を入れて仕上げたい。困難な時期にいろいろ起こるこうした考えや、移り変わりの激しい効果はついに実行を不能にさせる。
経験と毎日のちょっとした仕事だけが、長い目で見ればより完全に、正確に、円熟させるのである。
したがって遅い長い仕事だけが唯一の道であり、良い作品を仕上げようとするいかなる野心も、偽りなのだ。
毎朝、仕事にかかっても、失敗する場合もあり得るではないか、必ずしも成功するとは限らない。
絵を描くためには、落ち着いた規則正しい生活が絶対に必要だ。」

「素朴な男が、老木のように花を咲かせるとき、これは美しい。しかし、そのときが来るまで、後になって彼に同情するものが到底知りえないほど多くの、冬の寒さに耐えなければならなかった。
芸術家の生活、芸術家とは何かということ…。
何とそれは深いことかー何と限りなく深いことか!」

……ゴッホの手紙(岩波文庫)下巻より

 

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ジュール・バスティアン=ルパージュ 作「ジャガイモの収穫」

 

カテリーナのように

須賀敦子著「遠い朝の本たち」より

「神に呼ばれる」とか「神だけにみちびかれて生きる」というような表現は、キリスト教の伝統のなかではごく日常的に用いられるもので、私がカテリーナの伝記を読んだころ、カトリック教会では一方的に「修道女として生きる」という意味に解釈されていた。
でも、カテリーナは修道院には入らない。髪を切りはしたけれど、彼女は、学問をおさめ、政治にまで関与した。
「神だけにみちびかれて生きる」というのは、もしかしたら、自分がそのために生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、徹底的に追求するということではないか。
私は、カテリーナのように激しく生きたかった。

 

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ジュール・バスティアン=ルパージュ作「ジャンヌダルク

 

詩「孤独」より

エフトゥシェンコ詩集「白い雪が降る」から
   「孤独」(一部抜粋)

ぼくらは
  孤独をはばかって
   やりきれなさのあまり
なにかの仲間に身を投ずる
すると 役立たずの友情の奴隷のきずなが
棺桶のふたまで つきまとってくる。

どの仲間も ばかげた具合にできていて
ある種の仲間じゃ 酒をのむばかり
    正気返るひまもない。
べつの仲間じゃ 衣服や女の話ばかり
またべつの仲間じゃ
  まるで思想論争はだしのおしゃべりばかり
しかし よく見ると
    どの仲間にも共通の性格‥‥‥
つまりは 暇つぶしの種々様々の形態だ!

あっちも
  こっちも さわがしい仲間ばかり‥‥‥
いったい幾つの仲間から ぼくは逃げのびただろう
      かぞえきれないくらい!
新しいわなにかかったと思うと ぼくはたちまち
そこに毛皮だけ残して
      とびだしてしまう。
おれはぬけ出たぞ!
      行途には荒涼たる
自由よ きみが待っている‥‥‥
  まったく きみがいなくちゃ やりきれない!

  

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ジュール・バスティアン=ルパージュ作「ロンドンの花売り娘」

 

詩「ありがとう」

エフトゥシェンコ詩集「白い雪が降る」草鹿外吉訳編より
                   「ありがとう」

たとえ自分の涙にでも「ありがとう」をいいたまえ、
あわててふいたりなどしないで。
かりに泣いたって 生まれた方がいいさ、なぜって
生まれないってことは死ぬことだもの。

生きていることさ、ぶちのめされても ひん曲げられても
プラズマの暗闇に 消えてはいけない。
かりに宇宙をかける馬車から
緑色のしっぽの瞬間を 盗みとったとしても。

よろこびに かぶりつけ、赤かぶにかぶりつくみたいに、
包丁つかんで 笑うがいい。
生まれてこれなかったら、それこそおそろしいこと、
たとえ死ぬのが いくらこわくても。

生まれ出たものは それでもう 幸福もの。
人生ってのは トランプのばばみたいなもの。
ぬかれっはなしでいるなんて つらよごしだ、
まあ 十七歳までは キングでいられても。

みざくらの匂いに ゆられあやされ、
なんにでも酔っぱらっちまうんじゃ、
奇跡がおこっても 気がつきっこない、
自分がこの世にあらわれたという奇跡にさえも。

天国で極楽にいきたいというわけでもなし、
いまさらとやかくいって 大地をはずかしめるんじゃない、
なぜって 人生は二度とこやしないし、
それに 一度目の人生なんて ありっこないんだから。

燃えかすでなく 燃えたつ炎を信じたまえ、
雑草の茂みに 身をなげたまえ、
そして あんまり余計なおしゃべりはせずに、
宇宙を背中にしょいこむことだ。

山の中で暴れないなんて 恥ずかしい話。
たとえ精神の廃墟に立ち
盗賊ゾルバみたいに よごれてぼろぼろでも
そのみっともなさを祝って 踊りまくれ。

そして きみがちらりと横目に見た
不吉きわまる黒い猫たちにも ありがとう、
きみがつるりとすべった
水瓜の皮たちにも ありがとう。

それに いちばんはげしい痛みにだって
やはり なにかをあたえてくれる以上 ありがとう、
どんなにひとりぼっちの運命にだって、
それなりの運命があったのだから ありがとう。

 

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ジュール・バスティアン=ルパージュ作「眠るリトルチャップリン」